スポーツのココロ

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ノーマー・ガルシアパーラが引退!
ドジャース時代のガルシアパーラ
ドジャース時代のガルシアパーラ

ガルシアパーラ引退です。
僕はメジャーリーガーの中で本当に好きな選手の一人だったので大変ショックを受けました。
最後にユニフォームを脱ぐのはレッドソックスと本人が決めていたようで、レッドソックスとマイナー契約した直後に引退発表しました。

晩年は怪我が多く、一年間フルに活躍することはできませんでしたが僕がドジャースの試合を観にいくと、かなりの確率でホームランを打ってくれる選手でした。

昨年若手選手への切り替えを模索するアスレチックスに移籍した時に「なんで?」と思いましたが。
ガルシアパーラはレッドソックスのイメージが強いですが、彼自身がLAとアナハイムの中間のウィッテアという街の出身なので、LAでの彼はファンからとても愛されていました。また両親がメキシカンであることもLAで人気があった理由の一つだと思います。

首位打者を二年連続で獲得しており、生涯打率も3割を超えるのですが、彼は本当に記録より記憶に残るプレーヤー。ここ一番での勝負強さが違いますね。

2006年斉藤隆がルーキーイヤーのとき、彼は2度最終回にホームランを放っており、その時に勝ち投手になっているのが2回とも斉藤隆だったと思います。1本目は満塁ホームラン、2本目に至ってはその年のシーズン終盤に地区優勝争いをしていたパドレス戦の9回にドジャースが4者連続ホームランで追いつき延長10回オモテに斉藤隆が打たれて1点ビハインドになったものの、怪我をおして出場したガルシアパーラが逆転サヨナラホームランで勝利するというドジャースファンの語り草になっている試合でのものです。

僕もこの年の夏はLAでドジャース戦だけでも10試合は観ました。帰国してからはずっとドジャースの試合は日本で観ていたんですが、感動して泣きそうになった試合ですね。

レッドソックスからドジャースに移籍(ガルシアパーラはカブスに2年間在籍を経てドジャースに入団)したもう一人のスーパースター、マニー・ラミレスはレッドソックスを離れた時にこういいました。
「レッドソックスと言うチームはガルシアパーラのような生え抜きのスーパースターを全く大事にしない。だからオレはこのチームを出たいんだ」

これは球団批判でもあるけれど、ガルシアパーラへの最高の賛辞であったと思っています。その39歳のラミレスよりも一足早く、ガルシアパーラは36歳でユニフォームを脱ぐ決断をしました。

応援ユニはガルシアパーラと野茂のTシャツ。でも二人とも球界を去ってしまった
応援ユニはガルシアパーラと野茂のTシャツ。でも二人とも球界を去ってしまった
| スズキ ツヨシ | 野球 | 23:12 | comments(14) | - |
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2006 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表 栄光への軌跡
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ちょっと期待はずれ。リアルタイムで見ていない人にとっては結構いいのではないかと思いますが。
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